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カエデ「冷凍したパンは少し霧吹きで水をかけてアルミホイルに包んでから焼くと良いぞ」

ライターの基本?い抜き・ら抜き言葉に注意!

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うわー……。

筆者(管理人)がこういう題材のこと書いてるのって、珍しいな。

このサイトでは私たちのセリフではなく、筆者どの自身の文も書かれているワケだからな。

ならば物書きの基本たる話について触れるのは、別にまちがっていないと思うが。

それもそうなんだけど少し気味悪いなって。

いつもの雑学とか豆知識みたいな感じじゃないし。

だいたい筆者ってそんな意識高いヤツでもなかったし、変なものでも食ったのかな。

日本語で文を書くなら押さえておくべきじゃないか。

珍しかろうが感心なことだと思うぞ。

まあ、まがりなりにも筆者って、どこかの会社に雑学文を納品する仕事してた時もあったしね。

まったく関係なくもないか。

書いてることが違和感なしで見れるなら、そっちの方が良いに決まってるしね。

ん?

うん……まあ、そういうことだな。

んじゃ、ら抜きとかい抜きって、なんのことなのか説明ヨロー。

ボクたちもそれくらいのことはしゃべれるけど、筆者だったらボクたちがしゃべってることを、もっと上手く伝えれるよね!

……ん?(コチョンどのの話し方、どことなくおかしいな)

要点だけ知りたい方はこちら→まとめ

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い抜き・ら抜きってのは?

selective focus photography of three books beside opened notebook
Photo by Mikhail Pavstyuk on Unsplash

い抜きってのは「歩いてる・走ってる・読んでる」っていう風に、補助動詞の「いる」を略した言葉だ。

……でもこのままじゃ、なんとなーく軽いって気がしねえか?

そう、本来は「歩いている・走っている・読んでいる」みてえに「い」を入れるのが、文的には丁寧、キレイって話だ。

「い」が入っていないだけで、感じ方がまったくちがうってこったな。

もう1つのら抜きってのは「寝れる・着れる・来れる」の言葉から「ら」が抜けたものだな。

これも本来「寝られる・着られる・来られる」が文的に丁寧な形ってなもんだ。

こうしてみると、やっぱ「い」や「ら」が入ってる方が、整っているって感じもすっだろよ? 

ちなみに今の「入ってる」ってのも「入っている」の方が丁寧だかんな。

あと、「ら抜き」ってのは、昭和の戦後以降に一気に定着したって話があるんだ(い抜きの由来についてはくわしく分からなかった、悪いな)。

かくいうこっちも、日常会話じゃあたりめえに使ってんだから、始末が悪いやな。

自分をかばうワケじゃねえが、「い・ら抜き」は現代の話言葉で広く使われてる分、堅苦しいこともねえから、それはそれで良いってこった。

それに方言なんかで当たり前に使われるとこもあるし、会話にもスピード感やテンポってのが出来て、小気味良く感じる時もあるしな。

でも、ま、日本語ってのは難しいもんだな。

さっきの補助動詞って動詞や形容詞の後ろにくっついて、意味をちょっぴり付け加える言葉なんだ。

たとえば「喜んでいる」・「拾ってあげる」の「いる」・「あげる」が補助動詞だよ。

補助動詞はひらがなで書かれるのがほとんどで、漢字に変えるとちょっと不自然な感じになることが多いんだ。

「喜んで居る」とか「拾って上げる」となれば通じなくもないが、文として見ればどこか硬く違和感があるからな。

あと、さっきの「寝られる」「来られる」のパターンは「可能の助動詞」っていうのがひっついたものなんだ。

つまり「られる」がその可能の助動詞で「できる」って意味を表してるんだ。

この言葉を先ほどの「ら抜き」にすると「寝れる」「来れる」になるのだな。

ほかにも「できる」って意味になる可能動詞ってのがあるんだけど……あ、別に今回に直接関係ある話じゃないし、すでにややこしいなって思ったら、ここから2個先の見出しまでスルーしてね。

筆者の都合(国語の復習)でちょっと長めになってるから。

――さてと「作る」「読む」とかのウの段(る・む)をエの段(れ・め)に変えて、語尾に「る」を付けると「作れる」「読める」ってなるね。

これが可能動詞さ。

蛇足・五段活用と一段活用動詞の判別(ほぼ自分のための国語授業もどきなので、スルーでも可)

可能動詞は「五段活用の動詞」から作られることも1つの目安になる。

―見分け方一例―

動詞の語尾に「ない」を付ける。

前の語がア段に変化して意味が通じれば五段活用。

例・「歩く」「走る」→「歩かない」「走らない」で意味は通じ(か・ら、はア段)+(ない)で、未然形(まだ起きていない状態の言葉)になっている。

ちなみに「見る」「着る」は語幹(見・み、着・き)が固定で、後ろに(ます・ない・ません・られる)のような要素が付く一段活用動詞というもの。(ここでは上一段、下一段のちがいまでは省く)

コチョンのいったとおり、すでにどころか大分ややこしいが、次でさらに掘り下げる。

―あらためて五段活用とは―

五段活用では書く→書かない・書けない・書こうのように、語幹「書」の後に※母音が変化する語尾パーツ(このケースでは、か・き・く・け・こ)が付く。

※母音、つまりあいうえおの発音→「か→KA(A→あ)け→KE(E→え)」子音はK。

―一段活用とは―

一方で「着ない・着ます・着られる」は、語幹の後ろに語尾1文字の変形パーツではなく、一塊のパーツ(助動詞)が付く形になる。

(着+ない・着+ます・着+られる)

先ほどの可能の助動詞とは着「られる」「られない」のこと。

この「ら」を抜いたものが「ら抜き」。

―ざっくりまとめ(筆者が理解するための)―

とりあえず動詞に「ない」or「て」を付けてみる

・書く → 書ない・書
語尾が変形+ない・て → 五段

・着る → 着ない ・着て
ない・てを追加or語尾ごと入替で通じる → 一段

―これどっち?―

走る→走らない・走って=語尾が変形「ら」+ない・語尾が変形「っ」+て=五段

食べる→食べない・食べて=「ない・て」を追加=一段

〇不規則動詞という超例外的存在

● する

・しない
・して

原形がほぼ残らない
完全に別モノになる

● 来る

・来ない(こない)
・来て(きて)

読みも形も崩れる
※今更だが「来」つまり語幹(根っこ)が完全に固定していないと一段・五段活用動詞の要件からはずれるため、読みが異なる時点でアウト。

――こうやっててめえ(自分)の文法復習も兼ねて書いてみたワケだが、ちっと長くなっちまったぜ。(ぜんぜん上手く整理できてねえ気がするな)

しっかし、日本語ってえのは奥深え難しいもんなんだな。うん。

抜くとカジュアルな感じに

……ところでさ、なんで筆者、江戸っ子みたいな口調の文になってたの?

以前、コチョンどのが筆者どのの文に対して堅いと茶化したせいだろう。

ゆえに今回はざっくばらんな感じでいこうと思ったんじゃないか?

……意味をはきちがえている気はするが。

どうもそうみたいだね。

とりあえずそれは置いておいて……やっぱ「い」とか「ら」が抜けてる方が、さっき筆者が言ってたみたいに、なんとなく聞きやすいし、堅苦しくない感じするね!

こういう現実の会話なら自然に認識されるし、そういうシーンも多いしね。

「こないだ話してたよね」とか「ガッツリ寝れたし」みたいにか?

キミがそうしゃべると、キャラ的にギャップがあってなんか面白いね。

要するに家族とか友達同士では良いけど、キレイな文章を書くべき時は、ら抜き・い抜きはしない方が良いってことね。

ならば、公式の場での文書のやり取りでは使用を避けることが鉄則だろうな。

もしうかつに使ってしまった場合は相手への尊敬や敬意を欠くことになるし(そういう相手は大体の場合、お友達ではないのだからな)

作成した文は事前にきちんと確認するべきだろう。

基本のキってやつだね。

ただし、記事や文を書くような仕事をもらった時は、相手先が望んだ書き方に合わせる必要はあるよ(※トンマナってやつだね)

たとえばボクたちのようなキャラが設定されてて、そのセリフを書いて欲しいってケースとか。

※トーン&マナーの略で、トーンは雰囲気や感情、マナーはルールやスタイルを指す。

トンマナは広告業界や出版業界での制作文において、一貫した表現にするためのガイドラインのことで「トンマナで書いてね」などと要望があった場合「雰囲気や文体をウチのやり方に統一してね」という意味。

くれぐれも「日本語でおけー」などといってはいけない。

向こうの性質に合わせることも必要になるというワケか。

いうなれば2次元キャラのセリフの文体を、あえて崩して表現することもあり得るのだな。

そういうこっちゃ。

「ノリが軽い感じのキャラだから、そういう性格を意識してセリフ書いてね!」って求められた時とかね。

そういう場合でもい抜き・ら抜き文は文法的にまちがってるから、わざわざそうしてくれなんてことはあまりないと思うけどねっ。

まとめ

① 「い抜き」は「歩いてる・走ってる・読んでる」のような補助動詞の「いる」の略した口語形。
 「ら抜き」とは「寝られる・着られる・来られる」の「ら」を抜いたもの。
 どちらも文法的には丁寧ではなくとも、日常会話などではカジュアルな表現として一般的に使われている

② 公式な文書や記事では、文法の正しさや正確性が求められるため、「い抜き」「ら抜き」言葉を使うのには適していない

③ 創作のセリフではキャラクター性を表すため「い抜き」や「ら抜き」が意図的に使用されていることは多い。

 こうした限定的な場合を除いて、無作為に使用することは好ましくない

実はさ、最初らへんのボクのセリフは、全部い抜き&ら抜きをしていたんだ。

「書いてる・食べてる・見れる・決まってる・してた・伝えれる・しゃべれる・言ってる」あたりは全部そうだったよ。

こう見えて、筆者の読み物に陰ながら協力していたんだな、コレが。

いつもより話し方がわざとらしかったし、おかしいとは思ったが。

あとボクのセリフって今回だけじゃなく、ほかの読み物でもけっこう、い抜き・ら抜きしてるからね(今だって「い」を抜いたし)。

それこそキャラクター性重視ってやつだし。

だってボクってそんなきっちりしてる話し方合わないもん。

今まで筆者どのの書きまちがいじゃなかったのか。

それは初めて知ったな。

そ、キミのセリフはわりとちゃんとした口調だけど、ボクのセリフはあえて、い抜きら抜きルールをくずしてることが多いね。

内部事情的なことだけど、一応意図的。

そこいらへんは意外と……。

こだわっているのだな。

そうみたい。

了。

参考資料

文化庁 https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/20/tosin03/09.html(参照2024/11/22)

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