Relation7 味噌こんにゃく
ふう。
家からはそう遠くないはずなのにね。
少し曇っているけれど寒くはなく、切れ間から差す陽の温かさがちょうど良いお天気。
でも疲れたわ。
――このあいだ、あの子と珍しくまともに話した。
と、いっても、風変わりなおでん屋台のことがほとんど。
……確かこの辺りっていってたわね。
お買い物の前で良かった。
荷物なんか持って、先にここに来ていたらいつ帰れるのか分からないもの。
目印は古い石の橋。
そこの近く。
ああ、おでんののぼりと赤ちょうちんが見えた。
きっとあれね。
――「……こんにちわ、入ってもいいかしら?」
「いらっしゃーい、どうぞー」
あの子がいった通り。
三角巾に割烹着の黒猫。
お箸で器用に鍋をつついている。
「真ん中に座りなよ、はじだと少し風通しがあるから」
「ありがとう、そうさせてもらうわね」
一枚板の長椅子へと腰を下ろす。
作りが良さそうで、あたたかみのある風合い。
中央から外側に向けて色が薄くなっている。
きっと多くの客が訪れたのだろう。
――あら?
下がった木札に具材の名前が書いてある。
その下に、これはネコのあんよ……何かのマークかしらね。
ああ、ネコだからかしら。
「ふふ……」
「お客さん、なんか楽しそうだね」
「ああ、ごめんなさい、可愛らしいと思ったの」
「褒めてくれてるの?」
「そうよ、ネコさん」
「はっきりいわれるとなーんか照れ臭いなあ」
あらあら、頭をかいたりして。
とてもおでん屋をやっている様には思えないわ。
さ、なにを食べさせてもらおうかしら。
「やっぱり竹輪なんていいわね」
「はいよ、竹輪ねっ」
年季の入った佇まい。
天井板の黒シミは昨日今日ではけっしてつかないもの。
横に構えられた桐の引き出しも。
ところどころすりへって艶が薄れた鍋も、相当使い込まれていることが分かる。
このネコがずっとやってきた様には思えなかった。
でも私の若い頃にはこんな屋台がまだ多かった。
入ったのもいつぐらいだったか。
昔、まだ私が勤めに出ていた頃。
旦那と出会って結婚して。
でも死に別れて。
お腹を痛めて産んだ息子がいまや唯一の家族。
今日も家でテレビでも眺めているのかしら。
「お持ちどう!竹輪ね、それとそのこんにゃくはサービスね」
「あら、いいの?」
「いいの。はじめてのお客さんへのウチのスタイルだから」
「それじゃあ、遠慮なくいただくわね」
「それにしても嬉しいわ。私こんにゃく大好きなの」
「そう?なら良かった。なんだったら味噌なんてのもあるんだよね」
「ちょっと待ってね。タッパー開けて、小皿にっと」
「はいどうぞ!」
「あら、赤味噌かしら。……うん、見るからに良いお味噌ね」
「分かる?ま、こんにゃくにはそれつけて食べるのもおススメだよ」
「竹輪にも合うんだけど、やっぱり味噌こんにゃくで食べるのが一番かな」
「ありがとう、こんにゃくにお味噌つけて食べるのも私好きなのよ」
「それじゃいただくわね」
……サクッ……サクッ。
サク。
モクッ……モクッ。
「……竹輪もこんにゃくもとっても美味しいわ」
「それにこのお味噌……手作りかしら?既製の味とはちがう感じがするわね」
「コクがあって、まろやかで」
「……お客さん、相当舌が肥えてるね」
「おっしゃるとおり、それはウチお手製の赤味噌」
「味噌汁にしても絶品なんだよ」
確かにお味噌汁に使ってもきっと美味しい。
息子は味噌汁があまり好きじゃないけれど、このお味噌で作ったらきっと喜ぶかもしれない。
たったそれだけでも良いんだけれど。
――――。
「ネコさん」
「うん?」
「多分ここに息子も」
「タコ串がすごく美味しかったって」
「メガネをかけていてね、ちょっと太ってて」
「世間的に見たらおじさんっていう感じなんだけれど」
よしときましょう。
そんなことはこのネコさんには関係ない。
私はただの客だもの。
「来たよ」
「おばさんがいってる人かどうかはともかく」
「見た目の特徴と……タコ串を気に入ったっぽいおじさんなら」
「……きっとその人であってるわ」
やっぱり少しだけ話しちゃおうかしら。
「その人……息子ね。多分、ここに寄ってから何かあったのか」
「ちょっとだけ変わったみたいなの」
「……ううん、変わらないところも多いけれど」
「なんていうのかしらね、ほんの少しだけ」
「明るくなった……感じがするの」
「そうなんだ?」
こちらに相づちを入れつつ、まな板に並べられた竹輪と天ぷら蒲鉾を半分に切っている。
――その小さなお手てでよく包丁を使い慣れているものね。
「ごめんなさいね」
「はじめての客が突然自分の息子の話をして、面食らうわよね」
「でも何か……ここで変わったことでもあったのかと思って」
「いや、特に。普通に食べていったけど」
「……そう」
「……でも、良かったじゃない」
ふと遠くからクラクションの断続的で短い音が耳に届いた。
わずかな非現実から、ぱっと現実に引き戻されたような感覚。
うたた寝から目覚めた時にも似ている。
「ここに来た来ないとか関係なく、きっとその息子さんはそういう時だったんじゃないかな」
このネコさん。
一番近いはずの私よりも分かっているような。
今の言葉で何となくそう感じた。
僥倖だったのかもしれない。
私にはどうにもできないことだった。
ほんの少し悔しい気もするけれど。
切っていた具材がまな板を滑って鍋にそそがれる。
出汁のかさが増えて、あとわずかであふれそうになる。
「ありがとう」
「ん?なにが?」
「あなたが、この屋台が多分きっかけだったのよ」
ほとんど家から出ない息子。
しゃべりかけても気のない返事が続く日々。
あの子なりに頑張って来た時もあったし、その時はまだちゃんとしていた。
でもここしばらくそういう場所の空気にふれていない。
もう何年経つかしらね。
ただ最近、それも確実に、なにかが変わったようには思える。
あとは時間が惜しいだけ。
「……おおげさな。ボクはただおでんを売ってるだけ」
いつのまに作業をやめていたのか、私の隣で反対側を向いて座っていた。
足を宙ぶらりんに遊ばせて。
屋台の前の道をじっとながめていた。
こうしてみると、まるで私たちと同じみたいね。
「ここには色んなお客が来る。おばさんだってその一人」
「でも私はあなたにお礼が言いたいわ」
「もう一回。ありがとうね」
「……よく分からないけど、どういたしまして」
「さて……お買い物があるから、これで失礼させてもらうわね」
重い腰を上げる。
ズキッ。
年のせいではないの。
これは。
「お代は……ひいふう……これでちょうどかしら?」
「合ってるよ!あ、これ持ってってよ、サービスね」
椅子から降りたネコさんが袋を渡してくる。
おみやげを作ってくれたのかしら?
「あらあら、注文外のこんにゃくまでいただいて、こんなの悪いわ」
「いいの、さっきのお味噌も中に入れてあるからね」
「具につけても、味噌汁にしても、なんに使ってもいいよ」
「おでんはこっちが適当に見繕ったものだけどさ」
「本当に悪いわ」
「いいの、気が向いたらまた寄ってくれさえすれば」
「ま、息子さんにもよろしく……今度は2人で来れるといいね」
「私はともかく、息子が応じるかしらね」
「それならそれで」
「……それじゃあ、本当にどうもありがとう」
「またねー!」
と、いいながら手をふってくれた。
黒猫だからかしら?
周りの景色との差のせいか、瞼に残る影。
袋の中にはおでんの容器。
とっても暖かい。
――。
ズキッ。
また少し腰が痛む。
無理をしてるつもりはないのだけど。
チラッ。
ネコさん。
そんな顔しなくていいの。
大丈夫よ。
ふう。
――休み休み歩いていけば良いわね。
帰るのが遅くなっても。
多分あの子は居なくならないもの。
営業日誌7 まっくろ
今日も今日とて。
のれんよーし、のぼりよーし。
鍋の火入れもよーし。
さて、さっそくのお客さん。
――「ふう……こんにちわ、入ってもいいかしら?」
ん。
このおばさん前に……。
いやそんなはずないか。
色だけで見たら柔らかいベージュ。
でもくすんだグレーの水玉模様をたくさんくっつけてる。
色が反対だけど、多分あの時のお客の。
うん、きっとそうだ。
――「……それじゃあ、本当にどうもありがとう」
「またねー!」
おみやげの中にはさっきほめてくれたお味噌……を小さい容器にこんもり詰めた。
おでんはさっき食べてたこんにゃくと竹輪と。
それとタコ串を2つづつ。
……あのおばさん。
買い物の途中っていってたけど。
おみやげがすでに荷物になっちゃって、悪いことしたかな。
まあ、容器はちゃんとフタしてあるし、そんなに重い物ではないからなあ。
多分大丈夫でしょ。
……あ、かがみかけた。
ちょっとしんどそう?
行ってあげた方が良いかな。
……でも、かえってあっちに気遣わせちゃうかも。
良かった。
またちゃんと歩き出した。
あ、はにかんでる。
――ズキッ。
なんでかな。
心が刺されてるような。
でもまあ。
今のところなんとか足取りはしっかりしてるみたいだし。
……それにしてもとっても穏やかな色だったな。
年配の人には比較的それが多い。
おばあちゃんだってそう。
でもあのおばさんの場合、母親ってものからくる感じがする。
グレーの水玉が多かったのは、それだけ心配してるってことなんだよね。
んでグレー……息子さんの方は。
どうなることやら。
……おばさん。
身体の奥の方だと思うけど。
真っ黒いのをひっつけてた。
さっき、となりに座った時分かった。
「それ」はその人を表す色なんてものじゃなく、多分この世界のみんなが嫌う異物。
まだ小さいけど、それは段々と。
それを本人は多分分かってる。
――時間は戻らない。
この世にはどうにもならないことがたくさんある。
でも、運が良ければあれが消えることだってある。
「人生はドラマの連続」
こんな言葉をどこかで聞きかじったような。
ああっ、出汁あふれちゃうとこだった。
おたまでちょっとすくって器に逃がして。
……すくって。
ボクは何考えてる?
こんなこと、らしくない。
何よりボクにはおでんを出す以外何も出来ない。
「さってと、そろそろ夕方か」
提灯に明かりともして。
いつもどおりに、ね。

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