Relation5 雪の日の静かな客
こんこん。
……と、いうオノマトペにはわずかに届かないものの、そういう塩梅の。
やや湿った雪が降り続いている。
積もり上がったら、さぞ重たいにちがいない。
見合った寒さ。
鍋の湯気……からくる熱気が途切れずなのが、我が商売ながらありがたく。
自分の場所と客席の下に置いた小型の電気ストーブ。
橙の光がほんのりと身体を包んでくれる。
この2つなしでは、流石に休業せざるを得なかった今日。
――ゴトッ。
客席に影。
来るのは人のほかに居ないのだから、影がそうだということは瞬時に理解できた。
少し異様に思えたのは。
その影の主が、まるで外国のスパイ映画にでも出て来るような様相と洋装だったこと。
幾人の持ち主を経たように着古したトレンチコート。
一目で質の良さが分かる艶がかった白のマフラー。
雪解けの水滴を乗せた幅広のパナマハット。
……を深めに被った人。
ややうつむいているせいか、真一文字に結ばれた口元しかうかがえない。
ハンカチで帽子の水滴をトントン叩き。
濡れそぼったそれをコートの内ポケットへとしまう。
流れるような所作。
――夢だと思ってしまった。
それほど、場に似つかわしくない雰囲気の持ち主。
サッ。
わずかな衣擦れの音。
上がった手指が指し示すのは、屋台の真上にぶら下がった木札。
に、書かれたがんもどきの字。
この無言の人物。
おでんを食べに来た客ということだけは確かなようだ。
――「おまちどうさま」
未だうつむき加減の客前に、がんもどき。
そこに、こんにゃくとはんぺんも添えた器をそっと置く。
はじめての客には注文外の具をサービスで提供する。
前の主人から引き継いだやり方。
ほんの少しだけ顔を上げた客が、具たちを見つめている。
それはそうだ。
何しろ注文していないものまで入っているのだから。
ついでに表情がはじめて見えた。
男の人だった。
それも初老というべきの。
細面で皴深く、ところどころに肌シミが目立つ。
いやそんなものよりも。
目をひくのはそれこそ目。
快活に泳ぐ魚の鱗のようにぎらついている。
かといって険しくもない。
むしろ穏やかさをたたえる、形容しづらい目。
口は変わらず真一文字、ただ眉が少し上がった。
ついさっきまで感じていた理由のない緊張が和らいだ気がする。
「それ……はじめてのお客さんへのサービス」
音一つさせず振り続く雪。
妙な客と雪景色の取り合わせは、まるで一枚絵。
構図の舞台が屋台というのが、少しばかりアンバランスなものの……。
うなづきも、言葉も一切ないまま、箸立てから一つ取り、割られる。
パキン。
音は軽快に、瞬時にこもった。
一本筋、二つに分かたれた木箸。
両手で皿が持ち上げられ、結んだ口元へと運ばれる。
ツツツ……ツツ……
……ト。
皿が置かれる。
こんにゃくがそっと摘ままれ、雫がきられた。
シャクッ……シャクッ……
いつもなら遠めにでも聞こえる車の通行音や電車の汽笛。
それが今日はより少ない。
咀嚼音が一定のリズムを刻んでいると分かる程度には、閑静になっていた。
――はんぺんへと箸が入る。
二つに割られ、歪で薄い湯気が立ちのぼる。
片割れが大きくほうばられた。
は、ふ。
……少し熱かったらしい。
吐息交じりに二度三度咀嚼した後、側に置いた湯飲みへと手が伸び、控えめに口付けられる。
ふっ。
湯飲みが置かれた後、確かにそう聴こえた。
ひと心地ついたという息遣いか。
それとも笑ったのか。
どちらともいえない。
雪、テンポを保ったまま、なお降りやまず。
やや前方、まだ道肌が見えていたかと思えば、すべて白く覆われていた。
客がつけた足跡もすでに残っていない。
器に残ったのは、がんもどきだけ。
恐らく少しばかり冷めている。
何ともなしに鍋から出汁をすくい、上から静かにかける。
……客がわずか、ほんのわずかだが、こちらへ眼を見開く。
要らぬお節介だっただろうか?
だが、それも一瞬。
顔を落とし、再び立ちのぼり始めた湯気を見やる。
やおら塊のまま口元へ運ばれ、ひと噛み。
ふくよかな三日月へと変わったがんもどきが器へ戻され、箸が並行に置かれた。
まるで食べ終わったかのように。
客が横を向いた。
視線の先にはこの屋台の目印がわり……というほどではないが、石造りの小さな架橋。
その出口のアーチからさらに向こうを眺めている。
一体何だろうか。
待ち人?
それともあの光景に何か思うところが?
細められた目と依然真一文字に結ばれた口元。
そこからは何も読み取れない。
こちらが見ているのは上から下へと延々降る雪だけ。
アーチのスクリーンに映るそれは天然の借景というべきだろうか。
屋台を前の主人から引き継いでからずっと、無意識に見ていただろう光景。
今日のスクリーンには雪のほか何も映らない。
再び正面に目をやろうとした。
「あ……」
客はいなかった。
一枚の紙幣がテーブル板の、いつの間にか空にされた器の下にはさめられていた。
残されたと思ったがんもどきは完食されていた。
とっさにお釣りをと思い、数枚の硬貨を乱雑ににぎって屋台の表に出た。
冷たい物が身体のあちこちに触れる。
架橋とは真逆の方向。
すでに数十歩も先の方をその姿は歩いていた。
作られたばかりなはずの足跡が湿った綿雪にかき消されていく。
遠くへと見える大きな橋には大小のライトが行き交い、人らしき影もまばらに見える。
今更ながら。
架橋(こちら)の方には、ちょっとした田舎町と小高い山があるだけ。
反対に今客が歩く方へとしばらく行くと市街町に出る。
誰に説明しているのかもわからないようなことを頭でつぶやき。
一定のリズムでややゆっくりと、それでも確かな足取りの背を見つめる。
おそらく今晩いっぱいは降るだろう雪幕の中、その背はまもなく薄れていった。
にごった空からやってくる無尽蔵の白綿。
顔を上げると瞬く間に冷濡れ、自然と目がすぼまる。
頭にかかった雪をほろいのけ、屋台の中へ戻る。
電気ストーブのしぼりを一段上げた。
付着した雪が水滴へと変わって垂れていく。
残ったものを手ぬぐいで拭きつつ、器を見た。
そこには少しの汁も残っていなかった。
営業日誌 がんもどきは出汁を吸う
今日も今日とて。
と、いいたいとこだけど。
今日はとにかく雪。
雪、雪。
――そんな日。
んで、あのお客さん……。
混ざり合わさって、くすみきって、元が何色なのかもわからない。
パレットに色んな色を足して、ごちゃごちゃにして最後に水で少し薄めた。
そんな感じなんだ。
食べてる最中にちょっぴり色が明るくなったと思えば、一瞬で元のくすんだ色に戻ってしまう。
最初から最後までその繰り返し。
いつもなら色から少し気持ちも読み取れたけど、あの人の場合ムリだな。
それって多分初めてな気がする。
ただ分かったことは。
あの人がおでんを食べに来た客であって、それ以上でも以下でもないってこと。
――がんもどき。
美味しかったかな?
それなりに出汁も吸わせて、完璧な状態で出したから。
それを残されても困るんだけどさ。
ちゃんと食べてはくれたね。
ところで。
がんもどきをそのまま食べる人なんてまずいない。
おでんの具として使うのがもっともらしくて、一番美味しい。
ほかの種からの出汁も吸ってさ。
なにより下ごしらえの手間もかからないっていう。
そういう意味でも良い具なんだけどね。
……でも、この話は今回のお客とはぜんぜん関係ない。
はずなのに。
やっぱあの人。
なんでか、がんもどきって感じがしたんだよな。
まあ自分で注文するくらいだから。
好きなんだろね。
……それよりお釣り、どうしよ。
カン違いってことはないだろうけど、受け取るつもりもなかったのかな。
これだけ、別にしまっておくか。
また来るかもしれないし、その時に。
――ふるるっ……
鍋から湯気が出ていようと、ストーブがあろうと、ここは外のようなもの。
ちょっと早めに店じまいしよっかな?
でもこういう日に限って、客入り良かったりするんだな。
……まあ、おでん屋ですからね。ウチ。
――「よっ女将ネコ、2人ね!」
――「いやー雪すごいね!あ、先に熱燗お願い!」
ほら、来た。
「はいはーい!」
……早めの店じまいはムリだな。
仕方ない。
商売は商売。
下手に楽しちゃ、おばあちゃんに怒られちゃう。
寒いけどもうひと頑張りしますか。

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