……ところでさ、ここのレビューでおしゃべりしてて思ったんだけど。
何の変哲もない筆者やボクらがさ、レビュー(感想や評価)をするってのはおこがましいかなって思ったんだよね。
今更なんだけど。
なぜだ?
ボクらってゲーム作りの苦労までは知らないからね。
カエデさ、RPGツクールって知ってる?
あれさわった身としては、あれだけユーザーがやりやすいように材料が整ったものなのに、たった1つの作品を完成させるのがすごく大変って思ったよ。
(ボクも筆者もちょっとさわってぶん投げた体だしね)
何をするにも根気は必要だからな。
それも仕方ない話だろう。
遊ぶだけで良しとする者もいれば、それを作る側に進む者もいる。
気持ちの強さやそれが向かう場所がちがうだけだと思うが。
だからってワケじゃないけど、ゲーム作りの苦労を度外視して、つらつらと「やれシステムが~」「やれサウンド、音楽が~」とかいってるのって、なんか上から目線って感じがして。
ひょっとしたら、ここのレビューを読んでくれた開発者やたずさわった色んな人から「作ったこともないクセに薄っぺらなレビュー書きやがって!」とか「あれこれ語るならお前が作ってみろ!」って思われそうでさ。
ふむ。
言いたいことは分かる。
発売されたものをただ遊んで「感想や評価」をいうだけって、なんか申し訳ないような、気が咎めるような。
そういう意味じゃ、ホントは評価なんて偉そうな言葉も使いたくないんだけどね……。
ずいぶん深く考えているようだが、少し思いちがいをしていないか?
???
「レビュー」というのは、遊んだゲームへの思いを文という形に変えているものだろう?
それについて書いたりしゃべったりというのも、手間や行程の差異はあれど「製作」の一つだと思うが(一応は時間を消耗して書いているわけだしな)
それも何かを作ってる中に入ってるってこと?
それに「ゲームを遊んだだけの人間」にしか書けない文があるはずだぞ。
もしゲームづくりに仕事として携わったことがある人間がレビューを書いたなら、目線も味わいもまったく異なる文になるだろう。
しかし一方で「純粋なユーザー」だからこそ書けるものもまたあると……私は思っているが。
そうなのかな……
それに筆者どのがこのサイトでレビューを書き始めた動機は、単純に面白かった、楽しかった、または印象深かった作品の話を書き留めておきたくなった。
すべてはそこからだったな。
うん、そのはずだったと思うけど。
欲をいえば、縁あってここを見てくれた読者どのがプレイ済みでも未プレイでもその作品へ興味を持つことにつながれば御の字。
気持ちが自然にそうなっていったのだったな。
あえてネタバレとしているのも、そこまで書かないと遊んだ者の感想の深いところまで辿り着かないからだと思うが。
ネタバレ嫌いな人にも一応配慮して、最初の方に核心に触れない内容でのっけてもいるしね。
そうして書かれたレビューの一切は、ゲームの購入に支払った金以外での「返礼」のつもりなんだと思うぞ。
(その分熱量が空回って、過分な長尺になっているというのもあるだろうが……)
返礼のつもりってのは悪いことじゃないだろうけど、レビューの大半は中古で購入したゲームのことばっかなんだよね。
これって中古ショップには良いことだろうけど、大本で作った人たちにはあまりメリットないんじゃないかってことも考えたり……
※レビューにはDLタイプのタイトルも含んでいるので、この場合はメーカーの方にも利益はいくだろうと考えている。
確かに一理はある。
が、それを遊んだことで書かれた文が誰かの目に留まることで、その作品も多少なり認知されるだろう?(それが面白かったりその反対もあったりだろうが……)
うん、まあ……
さらにその中の誰かによる実際のプレイに繋がることもあるかもしれない。
これは金銭上の利益ではなく、作った側にとってまた異なる利益へとつながるものだと私は思うがな。
そっか。
直接作った人らにお金は入らなくても、そういうゲームがあるってことが誰かに知られること。
そこから興味や思い出が湧き出て、実プレイに移る可能性だってあるのは確かだもんね。
加えて、たとえ新品であろうと中古であろうと、作った人間への「遊ばせてくれてありがとう」という思いを文(レビュー)に忍ばせるようなものだとも思うが。
それはそうだけど(ク○ゲーだとしても同じなのかな)
話を移すが、どのようなゲームであろうと携わった者はかならず居るし、手間や費用だってかかっているはずだ。
中古屋にしたってすでに遊んだ者から商品を買い取り陳列することで、再販のための店づくりを行っている。
ここにも当然手間や費用はかかっているな。
これだって見方を変えれば「遊び終わった者から次に遊びたい者」への橋渡しを兼ねた仕事じゃないか?
そう聞かされると、中古ショップって誰かが遊んだものをまたほかの誰かに繋ぐ仕事って感じに思えてきたよ。
(カエデってけっこう深いとこまで考えてるんだな)
さらにいえば、それらの者たちにはそれぞれの生活があり、そのためにゲーム会社でクリエイターとして働いたり、中古屋の店員として働いたりしているだろう。
そして我々「お客」が支払った対価で、自分や家族を養っている。
いい忘れたがこれは生産者や中古屋のみではなく、定価で販売する店やそこに卸で売る業者など、関わる者たちすべて含めての話だが(ゲームに限らずだが)。
なんかすごいことまで考えてるんだね。
外っつらのことしか考えてなかったボクが愚かだった気がするよ。
だがコチョンどのの感覚は至極当たり前のことだと思うぞ。
私が物事の裏側まで考えすぎているだけかもしれないしな。
(考えている人も居るだろうけど、まさかカエデの口から聞くとは思わなかったな)
ところでさ、技術が進歩してない昔も大変だっただろうけど、まだゲーム作りのネタは今ほど出し尽くされてなかったよね。
んじゃ今のゲーム業界ってもっと大変かもね……。
新たなものを生み出してそれを受け入れる間口が、今となってはさらに狭まったということだな。
もっともそれはどの世界でも「作る側や売る方」でないとわからない領域だろう?
レビュー書いてる側としては、良くても察することしか出来ないもんね。
その苦労をふまえて再度いうが、レビューとはその作品に関わりを持つすべての人間への「金以外」でのもう1つの返礼だと思うぞ。
もっとも、そういうところまで考えるのはやや行き過ぎなのかもしれない。
もし私の思い上がりであるというなら、この話はなかったことにさせてもらうが……。
いや多分、カエデは正しいよ。
筆者もちょっと感動?してるみたいだし。
今までよりも思いが高まって、さらに長文なものばっかりになったりしてね!
程度にもよると思うがな。
難しい言い方に聞こえたらすまないが、レビューは「作品の外側」に生まれる価値だとも思うぞ。
それは作り手や売り手とは別の場所にしか存在しないだろう。
ここにきて哲学めいたこというんだね……
レビュー=ただの感想とは思えなくってきちゃった。
勝手にボクだけがスッキリしたような気がするよ。
それは何より。
その感想も書き手の思い入れ1つで、またちがって見えてくるものだと思うぞ。
ともあれ、ここのレビューを読んでくれた読者どのが「自分も一回やってみたくなった」程度にでも思ってくれたならだ。
それは書いた筆者どのや、そこにおしゃべりを加える私たちからして、とっても嬉しいことだな。
了。