……令和の米騒動の真っただ中に、実にタイムリーな読み物書いたね(ちなみにこの話は令和7年7月時点のものだよ)
たまたまだろう。
以前から筆者どののメモ帳(ネタ帳)に入っていたものを今回持ってきただけだからな。
んじゃ米騒動に物申すとかそういうんじゃなくて、今回もあくまでトリビア的なものとして?
そうだ。
というより、そもそもそれがこのサイトの主題のようなものだからな。
平常運転というやつだろう。
でもさ「米たかいよー!!」くらいは発言しても良いよね。
だって本当のことなんだからさ。
まあ、それくらいなら……(ここで私たちが愚痴ったところで何も変わらんと思うがな)
さて、ちょっと聞くが「米」という字。
コチョンどのはどうしてこういう形の字になったと思う?
実際のお米や稲の形をモジった!
つまり象形文字ってやつ?
「石」とか「雨」とかもそうじゃない?
もちろん象形説もあるが、それとは別に有名な俗説がある。
“それだけの手間がかかるから米”という話だ。
……それだけの手間?
どういうこと?
八十八もの手間がかかるから米

米作りに88もの行程がかかるから「米」
いわれてみれば、米の字を分解してみると八+八+十=米……。
やや出来過ぎた話のような気もしている(八が一つさかさまなあたりもムリヤリ感が)。
この話にそった場合、八十八の手間がかかるから米となった。
すなわち字は後から出来たという風に考えるのが自然になってしまうな。
反対に米って字を見てから、後付けされたっていう風にも思えるよね。
つまり字⇒八十八の由来につながったって感じで。
試しに古辞典を1つだけひもといてみた
そもそも米とはどういう意味なのか、昭和初期にかかれた大日本国語辞典にて調べてみたが、これによると……
一 いねの果實。就中、玄米は果實即ち穎果にして、白米は胚乳なり。
二 いね(稻)稻の異名。
上田万年, 松井簡治 共著『大日本国語辞典』卷二,富山房,昭和15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1870644 (参照 2025-06-29) 803p 一部抜粋
……八十八の話が関係していそうなことは一切書かれていないね。
単に植物としての説明と、稲の異名ということについてのみだな。
むしろ、こういうちょい昔の辞典にヒントらしきものも書かれてないってことは、“八十八の手間”説って、かなり後の作り話っぽいね。
古来からある食べ物に関しての話だから、近年出来た由来には思えないんだがな。
でも、てがかりなしだったね。
ここでは今のところ、な。
そんなにかかるかどうかは……
でもさ、肝心な話、米作りに本当に八十八もの手間ってかかるの?
私も正確に数えたわけじゃないが……。
実際の農作業工程を数えても、それぞれの農家によって差があるだろうし、数字は象徴的な意味合いを持っているに過ぎないと思っているぞ。
やっぱ“米”の文字に“手間”がコメられてる、っていうシャレみたいなもんかな……。
八木とも呼ばれる
ちなみに、米は江戸時代に、八木(やぎ)と呼ばれることもあったらしい
えっ、ヤギ? 山羊?
ちがう。
米という字が、“八”と“十”と“八”に分解できることから、八+十+八=八木(やぎ)という洒落のような由来だ。
直接文献をあたった訳ではないが、Webにそういう事例がのっていたからな。
参考 レファレンス共同データベース https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000025246
単純な話だけど納得はできるかも。
むしろ八十八の手間っていうより「字の形が八木だから八木」ってこっちの話のほうが信ぴょう性ありそう。
まとめ
「米」という字が八・十・八に分解できることから、「八十八の手間がかかる」という俗説が生まれた。
しかし古辞典の一つにはそうした意味の記載はなく、植物としての説明や異名の記述にとどまっている。
江戸時代には「八木」とも呼ばれていたが、これも字の分解から来る洒落の一種と考えられる。
実際の農作業が88工程あるわけではなく、「八十八の手間」は象徴的な表現と見るのが自然。
つまり……八十八もの手間がかかるっていう話は、ちょっと眉唾で盛り過ぎかもってことだね。
そうだな。
だが、たとえ実際の手間が八十八の工程でなくとも、米作りにはまちがいなく多くの労力がかかっているだろう。
そういう敬意を、象徴的に表現したかったのかもしれないな。
だとすれば、米の字にはやっぱり、ありがたさが「コメ」られてるんだね
それこそシャレじみた話になってしまったが、そのとおりだと思うぞ。
了。
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