時代劇のカゴ屋さん?「雲助」とは

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「次の宿場までは遠いから、雲助に運んでもらおう」

これは言葉を使った例文として、筆者が考えたもの。

うわ、唐突だね。

最初の文が思い付かなくて、ムリヤリひねり出そうとしたからかな。

とりあえず例文の意味はまちがいでもないし、良いのではないか?

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シンプルに駕籠屋

「江戸八景 吉原の夜雨」渓斎英泉作(台東区立図書館デジタルアーカイブよりCC BY 4.0 当方にて一部改変(外側トリミング)

この雲助とは、一般的には(イメージ的にも)江戸時代においての駕籠屋(かごや)または駕籠かきを意味する言葉。

駕籠屋は上の絵の下部中央あたり、棒を担いで道を走っている2人組がまさにそれである(もっと駕籠屋がピックアップされた昔風の絵を探していたが、しっくりくるものが見当たらず、行きついた末、この絵を使用させていただいた)。

したがって駕籠屋という職業そのものを表した呼び名のようではあるが、実はそれ以外にも複数の意味を持ち、使用する時のニュアンスによっては悪い意味の言葉にもなっている。

街道の労働者一般を意味することも

雲助は江戸時代において、特定の住まいを持たず街道筋で交通労働を行う者を指すこともあり、ほかにも雲の様にフラフラとあてもなくさまよう人足という意味もある。

なお人足とは普請(工事)や重量物の運搬などの力仕事に携わる人達のこと。

そして雲助は道中人足と呼ばれ、江戸時代に街道で働く労働者としての意味で使われることがある。

この道中人足の仕事は先の駕籠かき以外にも、荷物を運んだり川を渡したりなどの仕事も含み、駕籠屋・駕籠かきのみを指すワケではない。

不良駕籠屋

宿場からはずれたような街道で客を待ち、無理やり乗せたあげくボッタクリ料金を取る。

そういう駕籠屋の風上にも置けないヤツを侮蔑の意味を込めて雲助と呼ぶこともある。

本職の駕籠屋の蔑称として用いられるパターンである。

もっともそういった雲助はまだマシなもので、もっとヤバいヤツはダイレクトにお金を奪ったり、人を襲ったりする。

フラチな。

もはや強盗だろう。

もう駕籠屋さんとか関係ないよね。

ところで時代劇で見る駕籠屋のパターンは心なしか、こうした盗人染みた雲助が多い気がする(やたらむさくるしい男2人組だと割と高確率)。

たとえば人気時代劇の水戸黄門で見た(どのシーズンのどの回かは失念)での雲助は、旅人の女性に対し乱暴を働こうとする、実にけしからん連中だった。

もっともそんな彼らは都合よく通りがかった黄門様ご一行に、きっちりとこらしめられるのだが。

異なる字が当てはまった表現も

雲助は蜘蛛助(クモスケ)と表記されることもあり、調べたところ、双方の言葉は同じ意味で扱われている。

しかし蜘蛛助という表現は、街道筋で駕籠屋が客を待つ様子を、蜘蛛が糸を張り巡らせている様に例えたことから由来するといわれており、こちらは俗説に過ぎない。

一見なるほどと思わせる話だが、真実であれば、雲助と蜘蛛助が同じ音を持つことから、意味も自然に結びついたということになる。

派生タイプの言葉もなかなか悪い

雲助根性という言葉がある。

これは人の弱みに付け込んだり、足元を見てお金をまきあげたりする考え方を指す。

まさしく先の雲助のごとく。

こういう輩は現実にも居るだろうし、控えめに言っても最悪な心の持ち主である。

現実にも居るとしたが、現代での悪党はもっとずる賢いかも知れない(詐欺などで言葉巧みに悪事を行うイメージが強い)。

ちょっと脱線

ここでは雲助の話題から逸れるが、箸休めということで。

映画・男はつらいよの2作目にて俳優・東野英治郎氏が演じる散歩先生(俳優・渥美清氏が演じる主人公・寅次郎こと寅さんの学生時代の恩師)のセリフシーンで印象に残ったものがある。

散歩先生「俺が我慢ならんことは、お前なんかよりも少しばっかり頭がいいばっかりに、お前なんかの何倍もの悪いことをしている奴がウジャウジャいるということだ。こいつは許せん、実に許せん馬鹿もんどもだ、寅」


寅次郎「あたくしより馬鹿がおりますか」

映画 続・男はつらいよ 散歩先生と寅次郎の会話シーンより

散歩先生のセリフがストレートでとても同調出来るが、個人的にはどこか自嘲めいていつつ、そういう悪党が居ることに呆れている寅さんのセリフもどこか胸に残る。

このやり取りも、男はつらいよシリーズ中での名シーンの1つとしても知られているとかいないとか。

余談だが、散歩先生こと東野英治郎氏は、地上波時代劇での初代・水戸黄門を長く演じていた方でもある。

先ほど黄門様の話にふれたから、こういう話をしたのではなく、奇しくも話に繋がりがあったということで。

散歩先生は悪の存在を嘆くことしか出来なかったが、黄門様の姿になった時には悪い連中をきっちりとこらしめてくれるのである(立場上も御三家の1つ水戸の藩主だったことから、そこそこの権力もあるワケで)。

テーマは異なるが、黄門様についてのトリビアを少々記載したほかの文はこちら↓

「足元を見る」は雲助から?

閑話休題(かんわきゅうだい・それはさておきの意)。

「足元を見る」という言葉は、人の弱みに付け込むなどの意味を持つ。

一見、雲助とは関係なさそうな言葉だが、旅人の草履がすり切れて歩けない様子を見た雲助が、それこそ客の「足元を見て」法外なお金を要求することが由来になったという俗説も存在している。

とってつけにしても良く出来た話である。

なお雲助が履物のすり減り方やくたびれ方を見て(すなわち足元を見て)旅人の疲労度を測ったという(疲れているようなら声かけをして駕籠を利用させた?)巧みな考え方から由来したという説もあるようだ。

リアルだと「下手に出ているのを良いことに、足元を見てくる」なんて使い方が出来そうだよね。

そういう人間も現実には居るのだろう。

関わり合いにはなりたくないものだが。

駕籠屋が主役の落語も

古典落語に蜘蛛駕籠(くもかご)という演目がある。

これは先ほどの蜘蛛助が題名と当てはまった演目なのだろうと考えられる。

ざっくりとした内容だが、うだつの上がらない駕籠屋が声掛けした客たちが皆くせ者ばかりで、それらの客との滑稽(こっけい)なやり取りがメインの話となっている(江戸落語と上方落語で、客の種類や行動がちがうらしい)。

そしてこの蜘蛛駕籠に出てくる雲助は、客を必死にとろうとする多少のグイグイ感はあるものの、一生懸命でどこか憎めないキャラ。

雲助には単なる街道の労働者という意味もあるとしたが、この噺の雲助も比較的まともな存在として登場している。

時代劇などでは素行の悪さのせいで、悪いイメージが自然と付きまとっているが、そういう存在は一部の例外として考えるべきだろう。

まとめ

①「雲助」とはおもに江戸時代の駕籠かきや道中人足を指す言葉で、街道での労働に従事する者の呼称だった。またその職種は駕籠屋、また川での人や荷物の橋渡しなど運搬系を主とした

②不正を働く駕籠屋を侮蔑的に「雲助」と呼ぶこともあり、そこから「雲助根性」など悪い意味も派生した

③「足元を見る」の語源説であったり、落語「蜘蛛駕籠」などにも登場したりなど、善悪両面のイメージがある存在として描かれている

カエデは駕籠屋さんを利用したことあるの?

……あるぞ。

お役目柄、一般人に成りすまし街道を利用した時だな。

忍者だからてっきり獣道なんかを走りどおしだと思っていたよ。

襲われなかった? 大丈夫だった?

そういったこともなく、いわゆる良心的な駕籠屋ではあったが、あまりに遅いので途中から飛び降りて自分で走った。

やはり自らの足が頼りだな。

お金はどうしたの?

ひょっとして踏み倒し……

代金は駕籠の中に置いていったし問題無い。

そうですか、最初から乗る必要なかったんだね…。

(猛スピードで走り去るカエデを見て、駕籠屋さんは一体どう思ったんだろうか)

でもさ。

なんだ?

駕籠屋って江戸時代のシステムでしょ。

何の疑いもなく聞いたボクもあれだけど、それを利用したことがあるって、やっぱりカエデって大昔からタイムスリップでもしてきたんじゃ……。

……。

え? なにその意味ありげな間!

やっぱりタイムスリップしてきたの!?

……大昔に居なくとも、現代にも駕籠屋があるだろう。

観光地での体験型の娯楽とかでな。

それじゃそんな観光客向けのもん乗って、お役目とかいってるワケ?

それ時代劇かぶれのタダの痛い人じゃ……。

ふむ、時代劇かぶれか……では観光で乗ったということにしておこう。

観光であれお役目であれ、駕籠は駕籠、使ったという事実に変わりはないからな。

……話、逸らしたよね今。

ふふっ、細かいことは気にするな。

大事なのは、どちらにしろお役目を果たしたということだけだ。

くわしくは機密事項というやつで、すべてを語るわけにはいかん。

忍びとはそういうものだからな。

またそうやって誤魔化す~!

ならコチョンどのは、実際に私が駕籠を使ったところを見たのか?

まさか過去に飛んだ経験でも?

話の流れ急にこっち!?

真実とは時に、語られぬほうが良いものだぞ。

(大体コチョンどのも、人語を話す理由をいわないだろうに)

了。

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