ある日のこと。
カエデとコチョンが散歩をしている最中、空の雲行きがだんだん怪しくなり、あっという間に……。
うわー!!
雨だ! 豪雨だ!
どっかに逃げようよ!
ヒョイっ!
お! 抱っこしてくれるの?
私の方が早く走れるし、コチョンどのもあまり濡れないだろう。
ちょうど橋があるから、あの下に行こう。
――ふう、あんがと。
どしゃぶりだねーこれなかなか止まないかな。
いや、恐らくそう長く降らないだろう。
あっちの雲から日が差しているからな。
それよりも……。
ピカッ!!
一……二……三……落ちるぞ。
ゴロッ……ゴ……。
ピシャーン!!!!!
ウワッ!!
……すげー! ピッタリじゃん。
何で分かるの?
忍びたるもの、ある程度の天気読みも出来なくてはな。
それにこれは読みというより、女の感というやつだ。
(使い方まちがえてねーか、その言葉)
でも感覚で分かるってスゴイね。
光って大体3秒後に音が鳴ったから、わりと近くに落ちたな。
安全のためにもうしばしここでやり過ごすか。
雨より雷の方がはるかに危険だからな。
※豆知識
雷が光ってから音が鳴るまでの時間を算数の式に当てはめると、大体の落雷地点が予測できる。
公式→距離=〇秒×340m/s=〇メートル(340m/sとは大まかな音の速さ(音速)で、1秒で340メートル進む速さと同じ)。
カエデのカウントでは、光って音が聞こえるまで3秒かかったので→3秒×340m/s=1,020メートル(1.02キロメートル)かなり近場に落ちたことになる(そもそも音が聞こえる時点で、その場所は落雷の射程距離内とされている)。
うひー、雷でビリビリして〇んじゃうなんてイヤだよね。
くわばらくわばら!
お! その言葉、本当の意味で正しいな。
へ?
「ビリビリして〇んじゃうなんてイヤだよね」ってところ?
そっちじゃない。
くわばらくわばらっていう言葉の方だ。
ワザとか?
雷避けのおまじない
くわばらは落雷による事故や被害が出ないように、古くから唱えられてきたまじないの言葉である。
それがいつの間にか、雷に限らず、あらゆる災難や禍事に対して使われるようになった。
漢字で書くと桑原となり、唱える時は「くわばらくわばら」と2回繰り返すのが正しい。
桑畑に落ちませんように……
雷よけのまじないとして唱えられるようになったのには、複数の説が存在するんだ。
まずその1つ目だが、蚕(かいこ)の養殖に不可欠な桑畑を雷に荒らされないため、唱えられたという話だ。
なんか現実的な理由だね。
蚕って絹糸をびゃーんって吐き出す蛾の幼虫だよね。
イモムシみたいなの。
そうだ、幼虫が吐き出す糸は繭(まゆ)を作るためのものだが、これが絹糸の原料となる。
その幼虫の主食が桑の葉だ。
だから雷が鳴ると、かつての人々は蚕を育てるための大切な桑畑が、雷で焼けてしまわぬよう「くわばらくわばら」と唱えたということだな。
でもさ、ボクが雷様だったとして「え? そこに落ちて良いってこと?」ってなっちゃいそう。
わざわざくわばらなんて言わなくったって、雷が落ちませんようにって祈るだけで良い気がするなあ。
そういう風に伝わっているのだから仕方ないだろう。
ここで深く掘り下げてしまうと先に進めないぞ。
そうだね、ごめん。
まるで雷様に場所をバラしてるように思ったからさ。
学問の神の生地にあやかって
次は学問の神として名高い菅原道真公に関するものだ。
かつて道真公は桑原という領地を持っていた……
そこには雷が落ちなかったから「くわばら」って唱えるようになったんでしょ?
なぜ分かった?
話の筋からなんとなく。
ってか合ってたんだ。
うむ、これは道真公が左遷地(させんち)である九州の太宰府で亡くなった後、怒りのあまり雷神と化したという伝説が由来になっているぞ。
※実際、京の都や朝廷では無数の落雷による悲惨な事故が起きていて、これが雷神つまり道真公の仕業ではないかと伝わっているんだ。
もっとも雷神などではなく怨霊となって、京の都に災害や疫病をもたらしたという話も有名だな。
※930(延長8)年6月26日に起こった清涼殿落雷事件のこと、宮中の建物の1つ清涼殿の柱に落雷があり、その周りに居た公卿や官人数名が負傷、落命した。その中には道真公の左遷に関わった藤原清貫(ふじはらのきよつら)が居たため、怒りで雷神と化した道真公の祟りともいわれる。
あ、それ知ってる、だって道真さんって※三大怨霊って呼ばれることもあるんでしょ?
怨霊はともかく雷様になったなんて、どれだけキレたんだよって話だよね。
※平将門公・菅原道真公・崇徳天皇の御三方を指す。それぞれの落命後に、災害や疫病が流行るなどの凶事が起こったため、それを方々の祟りと考えた。
元々、道真公は学問や文芸に優れた人物であり、時の天皇に見込まれ右大臣まで上り詰めた人物だ。
その位を奪われただけではなく、朝廷のある京都から九州へと追いやられたのだからな。
無念さは本人にのみ分かることだろう。
キッツイね。
しかも道真公が左遷されたのは、いわれもない濡れ衣によるもので、それをうのみにした朝廷にも恨みをいだくのは当然だろう。
ともあれ太宰府に追いやられた後、かつての領地・桑原には雷が落ちなかったという話には、こじつけにしろ物語性があると思えないか?
まるでかの地にだけ道真公の加護があるかのようにな。
だから雷よけに「くわばらくわばら」ってなったんだね。
伝説だとしても、実際に居た偉人が元になってる話だから面白いね。
後に道真公の怒りをおさめるため、太宰府で公を祀ることになった。
それが今の太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)だ。
恐ろしい祟り神ではなく、学問の神となった道真公にあやかり、現代でも受験生たちが参拝におとずれるようになったのだな。
それも知ってる! 今じゃとってもありがたい存在なんだね。
道真公ゆかりの桑原の地は、現在の京都に桑原町という名で残っているんだ。
とはいえ、現在では住居などはなく道路のみになっているようだ。
雷様が落っこちた話から
最後は各地の昔話が由来になっている。
あるいきさつで雷神が雷を落とす時は、桑原の土地を避けるようになったというものだ。
それにあやかって「くわばらくわばら」を災難よけとして唱えるようになったワケだな。
それも桑原って場所なんだ……そんで雷神って道真さんのこと?
……ん?
話さっきと被ってない?
いや、桑原という地は京の都以外にもある。
道真公の領地だったところとはまた別にな。
さらにここでの雷神とは俗にいう雷様と呼ばれる者で、道真公とは別の存在だ。
ちょっとややこしいね。
肝心の昔話だが、元は1つの話がほかの地域にも広がっていったのか、似た内容のものがいくらか存在していてな。
兵庫にある欣勝寺や、大阪の西福寺に伝わる話などはわりと有名なようだ。
どちらの寺も現在の桑原町(それぞれ別の桑原だが)にあって、話にゆかりのある雷井戸というものも見られるんだ。
それは興味があるけど、どれかにしぼってピックアップするのって迷うね。
それぞれ大筋は似ているんだが。
もっとも、どれかの昔話をそのまま取り上げるというのも味気ない気がするな……。
と、いうワケで、複数の話の要所をかいつまみ、私なりにまとめてみたぞ。
お! なんか始まるみたいだね!
昔々、たかーい空の上に雷様が居た
雷様は面白がってそこら中に雷を落としていたんだが、ちょうど真下にある桑原村の人たちはそんな雷様にたいへん困っていたという
しかしある拍子で、雷様は自分の乗っていた雲からヒューっと落っこちてしまったんだ
たかい空から真っ逆さまに落ちた先は、桑原村の井戸の中だった
井戸に落ちた雷様は大声で助けをもとめたが、村人たちは雷神が落とす雷にたいそう迷惑していたので、井戸を板でふさいで閉じ込めてしまったんだ
すると雷様は悲しくなり「かんべんしておくれ」と村人たちにあやまった
さすがにかわいそうになった村人たちは、雷様を井戸から出してやることにしたんだ
雷様は村人たちに感謝してこういった
「もしおいらが雷を鳴らしたら『くわばらくわばら』と唱えて欲しい、そうすればこの桑原の土地に雷を落とさないよ」
その後、雷が鳴りはじめると村人たちは「くわばらくわばら」と唱えるようになった
すると雷様のいうとおり、桑原村に雷が落ちることはなくなったんだ
めでたしめでたしだな
おはなしのこえ カエデ
井戸が出てきたが、これは先ほどいっていた欣勝寺や西福寺にある雷井戸の言い伝えをなぞらえさせてもらったぞ。
雷が調子に乗りすぎて、天から一気に地上の井戸へ落ちたという展開は、私としても面白かったからな。
ちなみに欣勝寺の方で井戸に落ちたのは雷の子で、西福寺では雷そのものと伝わっているようなんだ。
わざわざ、昔話調でご苦労さま……。
でもご苦労様、話は確かに分かりやすかったよ。
ほかにも茄子の蔦をたどって天上の雷神に会うという、少々世界観が広がった話も存在する。
果ては桑原という一族にまで話が及んでいるものまであるんだ。
だがたいがいは「桑原(土地)には雷を落とさない」「桑原と唱えればそこには雷を落とさない」というオチで、助けた雷様と約束事を交わす話がほとんどだな。
サンスクリッド語に由来?
カエデ、サンスクリッド語って知ってる?
大昔のインドの言葉か?
そう。
そんで、このくわばらって、サンスクリッド語で厄除けを意味する言葉から来たって話があるんだって。
なんでも仏教用語の「クワンバラン」って言葉が「くわばら」になったっていうよ。
そのことに関しては筆者どのが調べたようだぞ。
なぬ? いつのまに。
結論を代わりにいうが「サンスクリット語が元だっていう具体的な情報が探せない……」とのことだ。
要するに大元の話が見つからなかったのだな。
マジかー。
あってもおかしくない話って思ったけど。
大体、発音も本来はまったくちがうのかもしれないぞ。
「クワンバラン」とは、サンスクリッド語を元にして、日本で出来上がった独自の言葉なのかもしれないからな。
この話はあくまで推察の域ということだろう。
今のところお倉入りってやつか。
まとめ
①災いよけの言葉、くわばらは、元々雷よけのおまじない
②由来は複数あり、菅原道真公・桑畑・桑原という土地にまつわる話などが存在する
③漢字で書くと「桑原」で「くわばら、くわばら」と2度唱えるのが正しい
伝説っぽいのもあれば、昔話もあるし、由来は1つじゃなかったんだね。
ってか、このおまじないって本当に効果あるもんなの?
さっきはとっさに言っちゃったけど。
道真公にまつわる話もあったゆえ、こう言うのは少々忍びないが……。
ただの気休めだろう。
そもそも落雷の条件は、地形や天候に左右されるものだからな。
雷さまへのお願いベースってやつだね。
それこそ、自らを安心させるための習慣にすぎないと思うぞ。
リアリストだねえ。
真っ向から否定はしないと思ってたけど。
寺社への願掛けならともかく、まじないのような不確かなものは信じないからな。
上手くいけば信じると言い、上手くいかなければただの迷信と言う。
人間の都合でどうとでもとらえられるからな(雷が鳴った時にへそを隠すという習慣も似たようなものか)。
それもそうだけど……
でも「くわばらくわばら」の由来を知ったから、これからもなんかの拍子に言っちゃうかも。
たとえ効果があってもなくてもさ。
気持ちは分かるがな。
これはもしもだが、どこかのひらかれた野っぱらの高台のど真ん中に一本だけ避雷針があるとしよう。
その避雷針に誰かがしがみつき、雷鳴が鳴る度に「くわばらくわばら」と唱え、数百年間一度も落雷にあわなかったというなら、本当に効果があると認めるのだが……。
(何言ってんだコイツ?)
そんなばかげたシチュエーション、あるワケないじゃん。
たとえ話だからな。
それに最初の方にも書いたとおり、くわばらの言葉はもはや雷だけではなく、あらゆる災難全般に対して唱えられるようになったというぞ。
不謹慎かも知れないけど、交通事故とか見ちゃった時に「うわーくわばらくわばら……」っていう感じ?
そうだな、そういうのにも当てはまるだろう。
さて……コチョンどの、雷も落ち着いたし雨も上がった。
そろそろ帰ろうか。
そういやボクたち急な大雨と雷で、橋の下に避難してたんだっけ。
くわばらの話になってたから、すっかり忘れてたね……。
了。
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