Happy new year! 幸多からん年となることを!
カエデひどいよ!
この画像って、ボクがどんど焼きでボールを火にくべたって誤解された時のじゃないか。
巫女さんバイトしてたキミが、フルスイングでボクにそのボールをぶつけようとしてたしね!
あはは……。
すまない!
考えればコチョン殿がそんなイタズラをするワケがないものな。
犯人は子供だったんだな。
よく見れば木影にいるのが解るが、私に気配を悟られなかったのはなかなかたいしたものだ!
そうは言ってもそこいらのいたずら小僧でしょ、どうせ。
今度からは気を付けてね(それにしてもなかなかのスイングだったな)。
みんなも必要なもの以外はどんど焼きに入れちゃダメだよ!
2人の誤解は解けたし、本編にいこうと思う。
さて、以前に正月飾りの意味を書いた記事を投稿していたが、今回はその正月飾りつながりで「どんど焼き」についての記事を書いた。
みなさんご存知、正月飾りや古いお札などを神社やお寺で焚かれた火へと投げ入れる、いわば新年初の大きなお祭りと言っても良いだろう。
筆者からしてみれば「健康でありますように」と祈りと感謝を込めて、火に正月飾りを投げ入れるイベントくらいにしか思ってなかった。
ただ、由来については知らないままだったので少し調べてみたが、元々は大昔の行事が起源だという説を知ることが出来た。
元は左義長って行事
「左義長(さぎちょう)」とは「※小正月」に行われる火祭り。地域によって多少変化するが、14日の晩、もしくは15日朝に行われるのが一般的。
※1月15日を指す。立春後初の十五夜でもある。古来、満月には神秘的なパワーがあるとして、旧暦ではこの日を正月とした。明治時代で太陽暦が一般的な暦になると、1月1日を大正月、1月15日を小正月としたとされている。また、15日の前後3日間を小正月とする見方もある。
竹を材料に、円形など決められた形へと組み上げて火をつけ、人々が持ち寄せた正月飾りをくべる。そのあたりは、どんど焼きとほとんど変わらない様に思える。
そもそもどんど焼きとは、左義長を元に地域ごとに派生した呼び名の一つ。歳徳神(歳神様)をまつる出雲が発祥元で現在の形になったとも。
推測だが、左義長と出雲由来の神道がミックスされたものが、今のどんど焼きではないだろうかと思う。
大元は平安のスポーツから?
さらにこの左義長の原型とされている行事が、平安時代に存在したという。
まず、公家たちがおこなう「打毬」という行事があった。これは「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬を打って相手の陣地へと入れるスポーツ(ホッケーやポロのようなもの)だとか。
青竹を組んだものに、この毬杖を3本束ねて燃やし、札や飾りを焚き上げるものが、左義長のルーツという説だ。なお祭りを執り行うのは陰陽師で、そもそもは悪魔を追い払うために行われていたとも。
また、三脚に見立てた様子から三毬杖(さぎちょう)の名前がついたらしく(平安の書物に三毬杖の記載があった事からも)左義長の呼び名もそこから付いたのではないかと推察する。
やがて、地方ごとに名前を変え正月飾りを焚き上げ、無病息災を祈る現在のイベントへと定着したのだろう。
ここから余談だが「本能寺ホテル」という映画で「ぎっちょう」という遊びが出てくるが、ヒモで結んだ木の塊をブルンブルン振り回して、的の扇子にぶつけているシーンが見られる。
しかも「ぶりぶり!ぎっちょう!!」と言う奇妙な掛け声で。詳しい事が解らなかったが、元は公家の遊びである打毬から「ぎっちょう」が派生したのではと思っている。
ともあれ一度、作品を見てほしい。俳優の堤真一さんが演じる、微笑ましい信長公の姿は必見。
ちなみに、どんど焼きには五穀豊穣を祈るという意味もあるぞ!
全国に広まって名前がちがっても、人々が祈る内容はそれほど変わらないんだな。
あと左義長では燃やした火で食べ物を調理して、みんなで食べて無病息災を祈ったって話もあるね。
お餅をお正月に焼いて食べるのは、この文化が元になったんじゃないかって話もあるんだ。
実際にお餅や三色団子を食べている所もあるんだよ。地域ごとにちがいがあって面白いよね。
地方ごとの呼び名
どんど焼きの日本各地での呼び名もいくつか列挙していく。
- 左義長(京都・近畿・北陸地方)
- どんと焼き(東北)
- 道祖神祭(長野県・山梨県)
- さいと焼き(静岡県)
- とんど焼き(関西)
- 鬼火焼き(九州)
鬼火焼きは主に鹿児島の屋久島で盛んに行われているとか。鬼火の言葉を使っているあたり、先の悪魔祓いとしての左義長に近いものがあるのではと、勝手ながらに感じた。
ちなみに左義長は、中部・近畿地方などでの呼び名。どんど焼き由来の有力説になった割にはそこまで全国に知れ渡っているのではなさそうである。
そして、圧倒的に全国区で呼び名としてメジャーだったのが、やはりどんど焼きだった。地域によって「どんと」とか「とんど」というように若干のちがいがあるくらいだ。
まとめ
どんど焼きの古くは、平安時代にそのはじまりらしき行事が見られた。元々、貴族のスポーツから派生したというところは、何となくシャレているかと思える一方。
陰陽師がからむような話になると、神道信仰のある日本だからこそというイメージが強まった(厨二病の方たちは、陰陽師がからむ話にアンテナが立つかもしれない)。
ただ、時代を超えてどんど焼き、ひいては左義長が人々の平和や健康のため、感謝をこめて行われる大切なイベントになったのは言うまでもない。
さて実のところ、どんど焼きにはまだまだ色々な呼び名が存在する。その特徴も地域によって様々だ。
だが、それらをすべて列挙して一つ一つに触れようものなら、大掛かりな記事になりそうなので、今回はどんど焼きの由来のさわりだけで締めようと思っている。
多分続きはないね、筆者の場合……。この記事書くのにすら、情報をまとめるのに苦戦していたから。
そうそう、どんど焼きは子供のお祭りって見方もあるみたいだよ。
さっきの左義長じゃないけど、火で焼いたものをみんなで食べるっていう話で中心になっていたのって、実は子供たちだったのかも知れないね。
どこの場所でも、どの時代でも子供たちの笑顔があってこそだからな!
子供も大人もどんど焼きで、感謝とともに健康や幸せを祈って良い年にして欲しいものだな。
了。
コメント