厳寒の2月。
この昔ながらの行事を行う家では鬼のお面を付ける役を選び、その役の人に豆をぶつける。
たいてい家族間ではお父さんが鬼役になりやすい、そんなイメージの行事でもある。
そんな節分の歴史は古く、はじまりは平安時代までさかのぼる。
さすがに伝統行事というべきで、節分の原型には鬼の伝説が関わり、それにまつわる前身のような行事がドッキングしたようなものだった。
ほかにはうるう年の要素も節分に関係しているとか。
魔除けの豆で鬼を追い払う
古来中国では豆には魔除けの力があると考えられていた。
また日本では京都の鞍馬山(くらまやま)に現れた鬼を追い払うため、毘沙門天のアドバイスに従って鬼の目に豆をぶつけて退治したという伝説もある。
諸説あるがこれらの伝説がもととなり豆まき文化が出来上がったとされている。
ちなみに鞍馬山の鬼の伝説においては、鬼の目のことを「魔の目(まのめ)」とも呼び、「魔目」に「豆」をぶつけて「魔滅」に転じたというユニークな話もある。
最初は豆をまいていなかった
あくまで伝説上の話だが、季節の節目に起こりやすい疫病、災害などの悪いことは鬼が起こしたもの、もしくは鬼そのものに見立てられていた。
そしてこの鬼(邪気)を追い払うための行事が平安時代から存在したという。
その行事とは追儺(ついな)というもので、中国の大儺という風習を元にしたものと伝わっている。
追儺は旧暦の大晦日に陰陽師たちが旧年の厄を落とすためのおはらいのようなものであったという。
そして追儺で使用されていたのは邪気を追い払う力を持つとされた桃の木で造られた弓と、葦(あし)の矢だという。
流れは鬼を払う役の方相氏(ほうそうし)が金の四つ目を付けたお面を付け、矛と盾(ほことたて)を持って「鬼やらい!」と叫びながら目に見えない鬼(邪気)を追い払う。
その後ろを先ほどの材料で造られた弓矢を持った人たちが付いて回るというような行事だという。
しかし筆者にとっては行事の話よりも方相氏のインパクトが強かった。
スタイル出しすぎであろうお面と矛と盾という装備と聞くと、むしろサブカル作品に登場する部族戦士のようなものを想像してしまった。
ともあれこの追儺が節分の原型だと推察したが、実際には節分と追儺は別々の行事だったようだ。
しかし江戸時代にはすでに節分とこの追儺がドッキングしていったと伝わっている。
ともあれ同じ魔除けにまつわる行事が時代を超えて合わさるのも充分ありえる話である。
では豆まきはいつから?
いつからはじまったのかは不明だが、南北朝時代以降は豆まきが一般化していたという。
豆を使うあたりは、それに魔除けの力があるという先ほどの考え方が元になったと推測され、豆をまくという習慣も現在の節分にかなり近い。
なお南北朝は日本史においても有名な足利尊氏や後醍醐天皇らが登場していた時代だ。
ちなみに南北朝とは鎌倉時代と室町時代にかぶっていた特殊な時代区分でもある(天皇家が北と南に分かれて勢力争いをしていた時代)。
その時代あたりから公家や町人たちが「鬼は外、福は内」と言いながら豆まきを行っていたという話が、室町時代の僧侶により書かれた臥雲日件録(がうんにっけんろく)という本にも残されている。
つまり豆まき時のあのセリフは大昔から使われていたということが分かった。
なお「鬼は外」は先ほどの邪気を払う意味で使われ「福は内」は、そのまま福を家に招き入れることを意味している。
ついでに豆まきのルールにも触れるが、家族と暮らしている場合節分には家長(お父さんとか)が基本豆まき役をつとめるのがならわしだ。
ただし年男・年女(自分の干支と、その年の干支が同じ人)や、厄年(満年齢ではなく数え年)の人がまき役になる習慣もあるので家族と相談の上決めるのが正しいようだ。
たまに厄年と干支がかぶる人もいるかも知れないが、こちらは豆まきにはあまり関係ない話となる。
むしろ神社でおはらいをしてもらう+豆もまいた方が良いと筆者は思うが、かなり不確かなので直接神社に聞いた方が手っ取り早いだろう。
またそういう考え方とは関係なく家族全員でまいても別に差し支えない。
こだわりがなくイベント自体を楽しいものにしたいなら、いっそみんなでやる方が良いに決まっている。
ちなみに節分の夜にしなければならないのは、鬼が「丑寅(うしとら)」の時刻あたりに来ると伝わっているからだ。
丑寅は今で言う真夜中の2時~4時あたり、それまでの時間に豆まきで場を清めておこうという理由である。
さらに鬼がやってくる方角も丑寅(北東)からという話がある。
これが「鬼門」といわれる不吉な方角で、風水でも邪気の出入りする方角としてよく聞く。
ともあれ現在、日本の家々で行われている一般的な節分は室町以降、平安時代の追儺ではなくなっていった。
やはりこれも時代のどこかで当初の鬼の伝説と追儺が合わさって今の節分へと変わっていったと考えられる。
余談だが地域によっては豆まきにカラつきの落花生を使う所もある。
一説ではまいた後に発見しやすいとか、衛生的な意味では下にまいてもカラをむいたら食べられるとか、生活上の都合によるものらしい。
ちょっとお邪魔するぞ。
節分のときに豆を食べる理由だがこれは無病息災を祈ってのもので、年の数にひとつ足して食べるのは、次の年も健康にすごせるようにという意味合いがあるらしいな。
「福豆」だね!
子供ならともかく、大人が年の数を食べるのは大変だから数にあまりしばられなくても、健康を祈ってさえいればオーケーみたい。
炒った大豆を使うのは、炒ったが「鬼を射る」に置き換えられるからなんだって。
そもそも生の状態だったら食べられないからかもしれないけどね。
でも日本って言葉でゲン担ぎをする事がホント多いよねー。
豚カツを食べて物事に「勝つ」みたいにさ。
節分の日が年によってちがうことも
ところで、節分は2月2日~4日というように、歴史をさかのぼると日にちがずれていることもあった。
それは春の訪れを意味する立春がうるう年の影響を受けるためだ。
ここから少し当サイトのおしゃべり担当のコチョンとカエデに説明してもらおうと思う。
そうやって人任せにする!
まあボクも自分なりに整理したことを話すしか出来ないけどね。
そもそも立春っていうのは二十四節季っていう1年を24の節目に分けたものの一つなんだ。
春が到来する日を意味していて、この日が1年のはじまりとされているよ。
んで、節分っていうのは立春の前日のことで、この日に厄払いをしようってワケなんだ。
ちなみに現在の節分は明治時代から採用された太陽歴を元にしていて、大体2月3日に行われるんだよ。
ここまでは良いかな?
「大体」というのはどういうことなんだ?
毎年、日にちをきちんと定めたほうが分かりやすいと思うんだが。
そこが重要なところさ。
日にちが定まっていない理由はうるう年の影響で節分の日がズレるからだよ。
まず天文学でいう現在の正確な1年は365日と6時間弱なんだ。
これが太陽の周りを地球が一周する本当の時間ってワケ。
でもカレンダーだと時間まで書かれていないでしょ?
つまりそういう暦の上では毎年およそ6時間づつ遅れてるんだ。
それが4年続くとどうなる?
6時間が4年分だから単純に6×4で24時間だな。
ん? これは……。
そう、4年経つとカレンダー上では実際の地球の位置に比べておよそ1日分遅れることになる。
この遅れを穴埋めするために4年に1度、うるう年の2月29日が設定されているんだ。
そうじゃないと春夏秋冬がちょっとづつズレてくるからね。
でもうるう年があっても結局分秒の誤差が積み重なって、立春の日が変わることがある。
そうなると前日の節分も一緒に移動するから2月2日だったり4日だったりする。
これが節分の日が年によって変わる理由さ。
ちなみに国立天文台が太陽の位置を見て立春の日を定めているんだよ。
そういう場所があるからただしい日にちで節分を行えるというワケか。
それと2021年は2月2日が節分だったんだけど、明治30年(1897年)以来124年ぶりのことだったんだ。
うるう年、ひいてはこれも太陽と地球の動きとカレンダー上での調節のズレで起きたレアケースだといえるね。
豆以外にイワシの頭も使っていた
節分ではイワシと柊(ひいらぎ)も魔除けになることはご存じだろうか。
柊鰯(ひいらぎいわし)と呼ばれ、今でも地域によっては玄関の軒先に柊の枝葉に焼いたイワシの頭を刺したものを飾るのだ。
飾る理由は柊のとがった葉っぱとイワシの焼いた煙や匂いを鬼が嫌うとされている説から。
江戸時代あたりからはじまった文化とされている。
古くは平安時代に書かれた紀貫之の「土佐日記」に、ボラの頭を使用していた(ボラの頭を使用したものは『なよし』という)という記述があるらしいが、現在はイワシの頭にとって代わっている。
当初ボラの頭を使っていたのには諸説あるだろうが、ボラを漢字で書くと「鯔」または「鰡」と書く。
ふたつめの漢字の右横には留めるの字があてられているため「神を留める」というゲン担ぎからきているという説も見られた(ボラよりもイワシのほうが手に入りやすいからという説もある)。
後々、頭を利用するのにとどまらず節分に焼いたイワシを食べることで、無病息災を祈るという考え方も生まれたという。
元々イワシ自体がDHAやEPAのほかにカルシウムなどの栄養が豊富な魚なので、無病息災の効果を祈って食べるというのはあながちまちがってもいないのだ。
健康上でも理にかなった習わしである。
まとめ
古くは中国からの考え方、さらにかつての日本に伝わる鬼の話や追儺の存在が交わったイベントと考えている。
現在では時代とともに豆をまくことが定着化し、鬼(邪気)を払うことで新年を健康に過ごせるよう祈りを込めて行うのだ。
またイワシの頭や柊を用いる伝統も、災難から逃れたいという人々の思いにより長い歴史の中で定着していった文化だろう(無病息災を祈る行事という扱いは正月のどんど焼きからもうかがえる)。
今後も絶えることがない行事であってほしいものである。
鬼は丑寅の時刻や方角からやってくるって話だけど、鬼がトラ柄の腰巻や牛の角を生やしているのはこの丑寅の話からきているらしいんだ。
桃太郎の本とかに出てくる鬼はそういう描かれ方をしているのも多いね。
そう言われると確かにな。
流石に桃太郎は豆ではなく刀で鬼退治していたが。
武器が豆だったらなんかカッコ付かないよね。
昔話のヒーロー代表みたいなものだし。
ちなみに最後まであまり触れなかったけど、鬼役の人をつくって豆ぶつけるのやってる家庭って今多いのかな。
ぶつけると痛いからってそこまでしないところも多そうだけど。
実際にやってみるか?
私が鬼役でいいぞ! 良い運動になりそうだ。
っていうか全弾よけるつもりでしょ。
豆をぶつけられるところもふくんで節分だからね。
了。
参考資料
国立国会図書館「本の万華鏡」第21回大豆-粒よりマメ知識- 第1章 節分と豆まきhttps://ndl.go.jp/kaleido/entry/21/1.html(参照2024-02-01)
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