よっ! てやっ!
甘いねっ。
今こそ超秘ッ!
あっ。
……またやられた。
よっしゃ、9勝目!
攻撃一辺倒で対人戦に勝てるほど、格ゲーは甘くないって。
それにボクもそこそこのゲーマーだから、初心者に後れをとるほど弱くないし。
ま、最初はCPU相手に練習した方が良いんじゃない?
ゲームであれ実戦あるのみだ。
もう一度やるぞ。
言っておくが、あまりにこちらが勝てないからといって、下手な手心を加えるなよ?
八百長なしだからな。
……たまに聞く言葉だけど、なんで八百長っていうの?
わざと負けるとかインチキみたいな感じの言葉だよね?
一体なんぞや?
それな。
元々、人名からきたという説があるぞ。
そしてその者が行ったあることが由来なんだ。
あ、マジで?
(それよりもカエデって格ゲーやる時『てやっ』とか声出すタイプなんだな)
八百長とは?
八百長とは真剣に物事を争うように見せかけ、裏で勝敗が決まっている(決めている)という意味。
昔の辞典から拾った意味文は次のようになる。
やほちゃう 八百長
一 相撲にて、豫め两力士が打合せをしおきながら、表面上よそほひて相撲を取ること。又、その相撲。
二 内内は示し合せておきながら、さりげなく裝ふこと。又、その爭ひ。
上田万年, 松井簡治 著『大日本国語辞典』第5巻,富山房,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1141096 (参照 2024-12-08).669p,やほちゃうの項目内より.
昔のかな読みとか旧字も入ってるけど、このくらいならボクでもなんとなく分かるから安心したよ……。
でもこれってさ、2つとも同じような意味だよね?
今回の話で関係してくるのは、むしろ「二」の方で、「一」の意味はついでに覚えるくらいで良いと思うぞ。
確かに後々の話には力士が登場するが、力士の取り組みに関する話には一切ふれていないからな。
この八百長、もちろん良いことではない。
かくいう筆者も対戦型のテレビゲームなどで相手に華を持たせるため、わざと負けたこともある。
さらに言えば、こちらが気付いていないだけで逆もあっただろう。
……スケールがものすごく小さい話だが、これは片方が勝手に行っていることだから、八百長とはちがうのかもしれない。
なんか筆者の文、だんだん話がそれていってるな……。
「あれ?今何の話書いてんだっけ?」となるなんて、しょっちゅうだろう。
この後、ムリヤリにでも帳尻を合わせるようだから、だまって見守ろうか。
そういう日常のシーンで相手に良い気分になってもらうための「わざと」のものと、八百長との大きなちがいは、お互いに勝ち負けを最初から決めているか、そうでないかだ。
互いに悪いことだと分かっていても、あらかじめ取り決められる悪質なもの、それこそが八百長の悪い例である。
人の名前が使われた八百長
幕末から明治の時代頃に八百屋の長兵衛(やおやのちょうべえ)という人物が居たらしくてな、略して八百長(やおちょう)だ。
人の名前がそのままあてがわれたんだね。
この長兵衛だが、ひいきの相撲部屋の年寄と交流があり、たびたび囲碁の手合わせをしていたという。
ちなみにこの場合の年寄とは一般的な年配者のことではなく、相撲の親方のことを指すからな。
さて、長兵衛は年寄よりも碁が強かったが、勝負が互角となるよう、いつも手加減していたんだ。
強い人がわざと勝ったり負けたりするなんて、けっこう感じ悪いね。
このあたりが八百長の由来となった話だがな。
強いからこそ、勝敗の調整という芸当も出来るのだろう。
理由は、長兵衛が自分の八百屋をひいきにしてもらう様、もしくは普段からひいきにしてもらっているからなど、商売がらみの事情があったと考えられる。
分かりやすくは取引先へのご機嫌取りだな。
由来のオチは相手の怒りへとつながった
この話には続きがある。
長兵衛が後に碁の名手・本因坊秀元(ほんいんぼうしゅうげん)と打つ機会があり、なかなかに良い勝負をしたという。
そのことから長兵衛は、碁の名人に引けを取らない実力者だと周囲に知れ渡った。
……どういうことになると思う?
うーんと……相撲部屋の年寄が、長兵衛と同じくらい強いってみんなに思われた!
……ここまでの話を全く分かっていなかっただろう?
長兵衛が相当な碁の腕だと分かり、年寄との勝負ではわざと勝ちをゆずることがあったことも、知られてしまったんだ。
いやーごめん。
けっこうあっさりした話なのかと思ったら、意外に入り組んでたからさ。
サービス精神が裏目に出たってことね。
次に碁やる時、気まずいなー。
年寄はもちろん穏やかではない。
相撲の歴史について書かれた「日本相撲伝」によると「八百長の野郎め」と相当に怒ったようだぞ。
あちゃー。
たとえ人情でも、相手がわざと負けたと分かれば、素直に喜ぶ人間は少ない。
ましてその年寄は、稽古の厳しさと品格を重んじる相撲界に身をおく人間だ。
趣味とはいえ、碁も勝負のうち、そこに手心を加えられていたと知れば、怒りは当然だな。
まあね、立場もありそうな人だし。
笑いものにされたのかもしれないね。
余談だが、世の中には金銭がからんだ八百長というのも存在してな。
気が向いたら自分で調べてみると良い。
元となったこれらの話と異なり、とても愉快になるようなものではないが。
気が進まないなあ。
ムリにとはいわないぞ。
こうした話は嫌悪感しか持てないからな。
現実のニュース(そういえばニュースという言葉自体にも以前ふれていたな)になった話も少なくないから、悪い意味での八百長はどういったものか、見聞を広める意味で知っておくのも良いだろう。
由来の人物たちについてざっくりと
長兵衛の碁相手である相撲部屋の年寄とは、伊勢ノ海五太夫(いせのうみごだゆう)という名力士らしい。
私も相撲はそれほど分からないが、伊勢ノ海は江戸中期から続くといわれる名門相撲部屋で、五太夫はその七代目とされている。
話に出たように碁が好きな人物だったようだな。
へえ、碁も打つ力士か。
文武両道って感じだね。
そして少しだけ名が出てきた本因坊秀元だが、こちらも長兵衛や五太夫と同時代を生きた囲碁棋士だ。
ちなみに本因坊とは碁の名手に代々継がれる家元の名だな。
この秀元と長兵衛が碁勝負をした場所だが、東京の両国、回向院近くの碁会所で行われたと伝わっている。
力士と八百屋と碁の名人か……。
けっこうバラエティに富んだ人たちが関わってたね。
ただ、これらの人物のうち、長兵衛に関してはあまりくわしい情報が見つからなかったが……(Wikiでは斎藤長吉という名であったと昔の新聞に記載されていたらしいが)。
明治時代の八百屋というくらいしか分からずだ。
もっとも八百長などと、負の印象がある言葉に名が使われたことは、お世辞にも名誉なことではないな。
まとめ
①八百長とは真剣に物事を争うように見せかけ、実は話し合いなどで事前から勝敗や結果が決まっていること
②八百長は「八百屋の長兵衛」という人物の略称からきた説がある
③長兵衛と交流のあった相撲の年寄(親方)との囲碁勝負で、長兵衛が相手の機嫌をとるためにわざと勝ったり負けたりをしていたことが言葉の由来
あのさ、今でいうと取引先との接待ゴルフとか?
「○○部長! ナイスショットっス!⦅こっちはワザと負けてやってるとも知らずに⦆」みたいなやつ。
そういうのも、八百長に入らないかな?
(やはり、イマイチ分かっていないな)
それはむしろ慣習というもので、一般的にも容認されていることだ。
皆がうすうす分かっていつつ、な。
仕事のために本音を隠して、相手のご機嫌取りか。
あまり白々しくても、ワザと感がバレちゃうだろうし。
大人の世界って難しいねー(ボクは気楽なネコで良かったよ)。
本来は下世話な八百長などせず、真剣勝負にて清々しい時間を過ごしてもらうのが、娯楽を交えた接待としては正解だろうがな。
たとえゴルフだろうとテレビゲームだろうと、囲碁や将棋だろうと。
その方が互いに健全な関係を築けると私は思うぞ。
そうだね……それが一番か。
……ねえ、そういやボクたちまだ格ゲー対戦中だったね。
キャラがにらみ合ったまま止まってるし。
あ、そういえばそうだったな……。
よし! 続きだ。
そして対戦終了……。
ふふーん!
10戦目にして、ようやくの1勝!
やれば出来るものだな!
……いやー! 参ったよ!
20でも30でも全勝する自信あったんだけどな。
カエデもだいぶガードのタイミングとか技の出し方が上手くなったし!
ささ、キリの良いところでひとやす……
よし、2勝目に挑戦するか!
さあコチョンどの! いざいざいざ!!
……よっしゃこーい。
(疲れたから、満足してもらうためにわざと負けたなんていえるかっ!)
ああ……ボクがしたこと、これがそうか。
ボクこそが令和の長兵衛だったんだね……。
ん? なにかいったか?
いえ! なにもいってません!
そうか?
~♪
(一休みしたいよー)
了。
参考資料
鎗田徳之助 (雪乃家漁叟) 編『日本相撲伝』,大黒屋画舗,明35.6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/860431 (参照 2024-12-09).コマ番号48~49,一部参照.
参考資料(引用有)
上田万年, 松井簡治 著『大日本国語辞典』第5巻,富山房,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1141096 (参照 2024-12-08).669p,やほちゃうの項目内より.引用部分
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